夏のフルーツ達
03.07.2011 (Sun)

今日もいい天気。オランダはとても爽やかな七月。OMAの同僚三人とランチ。あまりにも気持ちが良い天気なので昼間からビールを飲み散歩。

先日少しだけ手伝っただけだが、デザイナー清水久和さんのエキシビションのオープニングパーティに参加させてもらった。同じ場所だけど、準備期間中とオープニングではガラッと雰囲気がかわる。オランダのアート、デザイン関係者、及びヨーロッパ各地から集まった清水さんゆかりの方々にいろいろなお話を伺うことができ新鮮な気分を味わうことができた。

今回の新しく発表された清水さんの作品はフルーツの形をしたランプや置き時計である。抽象的なモチーフばかりで普段物事を考えている建築的な思考にとって、フルーツという甘く具象的なモチーフはとても新鮮。

夜薄暗くなった後、ぼんやりと光るランプを見る。その時ふと日本の夏祭を感じた。それは、例えば青森のねぶたや秋田の竿燈のようなもの。そこまで大げさではなくても、お祭りの露店に並ぶ水風船や綿飴の袋、壁一面にかかったお面達の色鮮やかでボンヤリと静かに光るあの心踊る雰囲気だ。具象には具象の魅力がある。

風も心地よい爽やかなロッテルダムの夏の日に日本の夏の風が吹いた。そういえば清水さんも生まれは夏だと言っていた。

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Top▲ | # by takeshimurakuni | 2011-08-09 23:47
ジーランド・ドライブ
02.07.2011 (Sat)

いよいよオランダを離れる日が近づいているということで友人達が忙しい時間をやりくりしてドライブの日程を組んでくれた。ロッテルダム南に広がるジーランドと呼ばる一体には海と陸の境界線上に巨大な水門が建設されている。そんなメガインフラストラクチャを通過し、真っ平な大地に点在する古く小さなオランダの村々を行く。そのうちのいくつかに立ち寄り散歩をしたり食事をしたりし、最後にはこのエリアでもっとも美しと言うビーチへたどり着く。ゆっくりとした夕食を終えビーチに戻ると、オランダ色の大きな夕日が海を照らす。夕日はゆっくりとそしてあっという間に海へ沈む。オランダ生活もあと少し。

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Top▲ | # by takeshimurakuni | 2011-08-09 22:46
文化とは自ら働きかけること
01.07.2011 (Fri) vol.2

今夜は長らく改修工事中だったNAiのリニューアルオープニング。その記念イベントとして中国とオランダの都市に関するシンポジウムが開催された。OMA香港のパートナー、デイヴィッド・ジャーノッテン(David Gianotten)のレクチャをはじめ建築都市関連のレクチャとディスカッションが行われた。

デイヴィッドは 西九龍文化地区マスタープランコンペ案のプレゼンテーションを行った。長いコンペの審査プロセスの結果、最終的にはフォスター案が採用案となったが、そんな状況の中、OMAが何を考えコンペに取り組み、彼が香港オフィスをどのように運営してきたかという立ち位置が鮮明に語られたのが印象的だった。

*  *  *

このコンペは香港オフィスを本格的に始動するきっかけともなったものだった。コンペの最大の目的は、経済原理や市民への迎合だけに留まらない本当のカルチャーを香港に浸透させることだったという。そのためにOMAが選んだ戦略はコンペを勝ちに行くこと以上に、香港市民に多様な意味でショックを与えるということだった。

コンペの初期に、多くの有識者、市民へのリサーチを行った。その結果、単にコンペに勝つことが目的ならば大きな緑の公園を作ることで都市のシンボルを与え、必要なプログラムは経済的なビルティングタイプを踏襲して公園に邪魔しない様配置すれば良いことは明らかだったという。しかしそれは本来の意味での「文化地区」を生むことができるのか?とクリティカルに問い掛ける。そしてOMAは「文化とは自ら働きかけることであり、単なる消費ではない」という答えを出す。

コンペの審査プロセスで何百回ものプレゼンテーションが開催され多くの市民から賛否両論、多様な意見が生まれた。そしてその中からは、これまで気がつかなかった現状への疑問を持つ者、そしてOMAが香港で起こそうとしている「消費では無い文化」の重要性に賛同する者も現れた。さらにはそれが元となり新しい仕事への芽生えになったケースさえも生まれた。

このコンペは、香港の西九龍地区に文化地区を作るという課題だった。しかしOMAは西九龍地区だけにとどまらず、香港全体規模で文化というものを考えるきっかけを生んだ。そのことが何よりも価値があるとデイヴィッドは結んだ。

*  *  * 

現状、特に都市に対する分析。そしてそれに対する自らの立ち位置の明示。その立ち位置をデザインを通じてビジュアライズすること。OMAの典型的とも言えるプロジェクトの組み立てが鮮明に浮かび上がる。マスタープランのような複雑なテーマでも端的な言葉を持って語られる点はやはり魅力的だ。

「文化とは自ら働きかけることであり、単なる消費ではない」

OMAはそう言う。香港に置いてそれが本当なのかどうかは誰にも判らない。誰かがそう保証してくれる訳ではない。だけどそれを信じこれから生まれる未来に保証人を求める続ける。そんな態度そのものが文化をつくるということなのだ。


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Top▲ | # by takeshimurakuni | 2011-07-07 10:10
人の繋がり
01.07.2011 (Fri)

今日からは仕事に行かなくていい。しばらくゆっくりとした時間を過ごそう・・・

と思っていた矢先、驚くべきタイミングでdezain.netの岡田さんからメッセージを頂く。なんと今日からしばらくロッテルダムに滞在予定だという。近所のギャラリーで作業中だということなので急遽お邪魔する。7月3日からデザイナー清水久和さんのエキシビションが始まる。その展示準備の真っ最中だった。

ちょうど今日から時間が出来たので時間の許す限り設営の準備に参加させてもらった。アイントホーフェン・デザイン・アカデミーへ留学中の方も一緒に手伝ってくれた。突然生まれた四人の日本人チームでエキシビションの準備をする。不思議な展開、不思議な人の繋がり。日曜日のオープニングが楽しみだ。

Hisakazu Shimizu, Water Melon Clock
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Top▲ | # by takeshimurakuni | 2011-07-07 02:18
最後の出勤日
30.06.2011 (Thu)

いろいろ最後の出勤日。ロッテルダム市役所プロジェクトの模型やパネルをとあるプレゼンテーションに使いたいというクライアントからの要請があったため、チームメンバーと模型の搬出入を手伝う。オフィスを出たり入ったりの慌ただしい最終日となった。オフィスに戻るとすでに大半の人はランチを済ませていたため、チームメンバーと二人で広いキッチンにてぽつりと最後のランチを済ませる。

机を片付け、パソコンの中身もキレイにしていよいよみんなとお別れの時。今まで何度もの別れを繰り返してきたけどやっぱりこの瞬間は心落ち着かない。一年間という短い期間だったけれどとても貴重な体験ができ学ぶことも沢山あった。またどこかでOMAのメンバー達と出会いたい。

夜は友人がパーティを開いてくれた。手作りのインドネシア料理を作ってくれ木曜日にも関わらず深夜まで付き合ってくれた。ありがとう。

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Top▲ | # by takeshimurakuni | 2011-07-07 01:54
最後の週
27.06.2011(Mon) - 29.06.2011(Wed)

今年初めにスタートした半年契約のアーキテクト生活は六月一杯を持って幕を閉じる。今週は最後の一週間となる。最後の月曜日、最後の火曜日・・・いろいろな最後が始まった。

水曜日の夜はロッテルダム市役所プロジェクトチームメンバー、そして現在の行っている新プロジェクトメンバーがお別れのディナーに集まってくれた。総勢15名程。とっても多様で熱意のあるメンバー達と共に仕事が出来たことがとても誇らしい。

お祝いに大きな本をもらった。OMAの本は持っているだろうということでオランダの都市に関する本をもらう。キレイな写真や図面が乗せられている素晴らしい一冊。全員に寄せ書きをしてもらいここでしか手に入ることの無い唯一のものになった。

素晴らしい会を開いてくれた皆に感謝したい。

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Top▲ | # by takeshimurakuni | 2011-07-06 06:42
白いカーテン
26.06.2011 (Sun)

オランダ人の同僚の家へ夕食に招かれた。オランダ人の家に行くといつも関心する。築何十年のアパートの一室をとても魅力的に利用している。日本と違ってまちの中では戸建住宅や新築マンションは皆無。古さを受け入れて自分のトーンとミックスさせている。

普段あまりカーテンをみかけないオランダだが、彼の家には白いカーテンが大きな窓に付けられていた。蒸し暑い今日、風が部屋に吹き込むとカーテンが大きく揺れる。その静かな動きと風がとても心地良い。カーテンは日光を遮るとか、プライバシーを確保するという他に、風を可視化する役割があるんだと初めて気が付いた。

とてもおいしいご飯ご馳走に様でした。
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Top▲ | # by takeshimurakuni | 2011-07-05 16:11
51N4E : 三人のブリコルール
24.06.2011 (Fri)- 25.06.2011 (Sat)

今週末にオフィスを去る二人のためのパーティが開催された。夕方から多くの人がビールやシャンパンを飲みはじめた金曜。雨が降ったり雷が鳴ったり不安定な天気の中タイミングを見計らってオフィスを去りバーへ向う。翌日、土曜も荒れ模様。蒸し暑く雷があちこちで光る。

*  *  *

そんな中先週ブリュッセルに出かけた際に見たもう一つのブリュッセルの建築家51N4Eのエキシビションについて考えている。

力が抜けている雰囲気が多いに伝わってくるものだった。その力の抜け具合とは乱暴に言うと近代建築の雰囲気と違うものだと言える。建築の理論を掲げてプロジェクトを展開するというものとも違うし、エンジニアリングの結晶として出来上がるものでも無い。スタイルの先端を追い求めている眩しさや華々しさがあるわけでも無い。だけど、それは決して漠然と設計を行っている訳では無く、間違い無く建築家のある情熱に基づいて生み出された作品達なのだ。

その違いを生み出しているヒントは設計プロセスにあるのではないだろうかと考えている。彼らの設計プロセスはとてもブリコラージュ的なのだと思う。

それはゼロから完成までひとりの大建築家が全プロセスまとめきるというスタイルの対局に位置するものである。明確なゴールがありそこに向うために、人員、時間等可能な限りのマンパワーをかき集めてプロジェクトをまとめるという作業は、ブルドーザーによる自然破壊のような力業であり近代的な姿である。その近代的な力強さが51N4Eからは感じられない。それは良いことなのか悪いことなのかわからないがともかくその点が違う。そしてその違いがブリコラージュ的だと感じるポイントになっている。詳しいオフィス内での仕事の仕方は確かではないがエキシビションからもその断片を伺い知ることができる。

例えば、
模型の作りかたにしてもさまざな表現方法がかき集められる。アクリルで出来た質感を持つもの、シャープでエッジの効いたもの、ダンボールで出来たラフで抽象的なものまで。システマティックにフォーマットを揃えてずべての統合を図るというやり方を採用せず、各プロジェクトの置かれた状況下から生まれ出るアウトプットをそのまま集めて束ね展示している。

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また、
図面やスケッチの展示の仕方にしてもどこからどこまでがひとつのプロジェクトなのかが曖昧になったものが多い。エキシビションのために完結したドローイングをつくるというよりもプロセスの中で生まれたスケッチ、構造計算、コラージュ、そしてCAD図などがヒエラルキー無くフラットに置かれる。全てがそうかといえばそうでもなく、決めのドローイング一枚で表現させるプロジェクトもありそれぞれのプロジェクトに備わっている既にある差異が露出する。

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*  *  *

ブリコラージュをする職人などの人物は「ブリコルール」と呼ばれるらしい。51N4Eの三人はブリコルールとしての建築家と言えるかもしれない。彼ら三人の周りでは日々オフィスのスタッフも含め、構造エンジニア、家具、グラフィック、模型のコラボレーター達の設計活動が繰り広げられる。それを彼ら三人が組み合わせ、束ね、意味を付く加え建築にする。

展覧会のタイトルは "DOUBLE OR NOTHING"である。何かと何かが組み合わされ重なることで初めて建築が生まれるさもなければ何も無しと彼らは言う。それは正しくブリコラージュ的なものの見方である。

建築家の新しい姿とは、もはや全知全能の神のような存在にあるのでは無い。この「ブリコルール」という人物像にもしかしたらヒントがあるのではないか、と雷が鳴り響く小さな部屋の中考えている。

Freek Persyn
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Johan Anrys
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Peter Swinnen
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Top▲ | # by takeshimurakuni | 2011-07-05 03:49
ペチャクチャナイト
22.06.2011(Wed) -23.06.2011(Thu)

プロジェクトはリサーチを進めたり模型をつくったりしてゆっくりと前へ進みつつある。

木曜日の夜、ロッテルダムのとあるイベントスペースにて Pecha kucha night というイベントが開催された。 Pecha kucha とはもちろん日本語のぺちゃくちゃじゃべるのそれ。一人20枚のスライドを20秒ずつ合計400秒でプレゼンテーションするという日本生まれのプレゼンテーションフォーマット。長くだらだら続いてしまいがちなプレゼンテーションを限られたものにすることで、多くのプレゼンターの公平性を確保できるのが良い。みなキチンと時間内で話が簡潔するように準備をしていたため聞き易かった。

今日のテーマは'Space in the Interim'。都市の中に生まれた空き地をどう活用できるかといったテーマ。多くは大規模マスタープランではなく、ボトムアップなアプローチで都市を活気づけようという話。市民の側から積極的な都市へ働きかけようというアプローチはこれまでも多くのレクチャなどで同様の話を聞いていたが本当に驚くほどに皆同じ話をする。そしてできるものがどれも同じようにあまりパッとしない。

クリティカルであるはずだと皆が同様に考え同じアプローチを繰り返す。繰り返すがゆえにもはやそれがクリティカルでは無くなるという煮詰まった負の連鎖。そこから一歩外に出たアプローチは可能なのだろうか。

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Top▲ | # by takeshimurakuni | 2011-07-04 19:27
屋根裏
21.06.2011 (Tue)

ロッテルダム市役所増築プロジェクトの大きなプレゼンテーションが開催された。資料運びを手伝うためメンバー達と役所へ赴く。会場の不備でパワーポイントをリモコンで操作することができないことが判明、誰かがプレゼンテーションのサポート役として会場に残らなければならないことになる。他のメンバーはそれぞれに事情があり結局僕が残ることになる。

プレゼンはずべてオランダ語。説明をするプロジェクトリーダーの雰囲気、なんとなく英語に似ている単語の発音等から何とかタイミングを見計らいつつパワーポイントの進行役を勤める。

そんな仕事はともかく会場が面白かった。大きな市役所の屋根裏にその会場がある。華奢な鉄骨の骨組剥き出しのいわゆる屋根裏空間に現代ダッチデザインの家具や照明が置かれている。屋根裏にすっぽりと納まるサイズの家型のオブジェが置かれ、その中は会議室になっていたりもする。さらには職員のカフェテリアもこの屋根裏が利用されている。

ただそこに存在している忘れ去られた様な空間と入念にデザインされた家具や照明達のぶつかり合いがとてもオランダらしくて良い。ゼロからひとりの建築家の想像力によって生み出された空間よりも、そこにあるものを取捨選択しその時点で最適解と判断した解釈を下し、複数のデザインを重ね合わせるという手法に強く魅かれる。


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Top▲ | # by takeshimurakuni | 2011-06-29 08:53
(IM)PURE, (IN)FORMAL, (UN)BUILT
20.06.2011 (Mon)

現在パリでOMAのエキシビションが開催されている。フランス国会図書館コンペ案、ジュシュー図書館コンぺ案、そして昨年コンペで一等となり実現に向けて進行中のカーン図書館の三作品がスタディ模型やダイアグラム、そして巨大な全体模型と共に展示されている。

ランチタイムにパリに行ってきたという同僚に話を聞く。特に大きな模型が素晴らしかったと興奮気味。フランス国会図書館コンペ案、ジュシュー図書館コンぺ案に関してはS,M,L,XLに掲載されてる模型と同じもの(少なくとも同じように見えるらしい)が展示されているらしい。そして、カーン図書館に関しては今回のエキシビションのために、OMAを始め多くの建築家のモデルを手がけているヴィンセント・デ・ライク(Vincent de Rijk) が製作した最新作も見ることができるという。

OMAでは終わったプロジェクトはスタディ模型を含めて全てきれいにアーカイブされていく。そのため、限られて資料を覗いてオフィスにいても日常的には昔のプロジェクトの模型を見ることは少ない。これだけ見に行くだけでもパリに足を運ぶ価値はあるかな?と聞くと絶対行ったほうがいいよと同僚は言った。

オープニングの様子

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Top▲ | # by takeshimurakuni | 2011-06-28 16:10
慰めのアーチスト達
19.06.2011 (Sun)

カナダ出身の写真家ジェフ・ウォール(Jeff Wall)のエキシビションを見た。これまでもことある度に彼の作品を目にしてきた。いつも気になっていたものの、どこのどんな写真家なのかという実態を知るまでには至らなかった。現在ブリュッセルにて大規模なジェフ・ウォール展が開催されている。ここでは彼の初期の作品から未発表の最新作までをみることができ、それにプラスして彼がこれまで影響を受けてきたという有名なアートの数々も多数展示されている。そんなリッチなコレクションを自身の個展のために集められるという事実だけでもジェフ・ウォールの存在の大きさが伺える。

裏側から発光する特殊なフレームに組み込まれ大きな写真達。どれもとてもリアルで生々しい日常生活の断片が切り取られている。リアリスティックな写真を撮る写真家なんだろうかと思い見てまわる。次第に違和感を覚える単なるリアルな日常でもなさそうだ。どうも暗い。何かおかしい。大半の登場人物無表情なのだ。そして誰もが重い雰囲気を背負っているような写真ばかりだ。リアルな映像の中に現代生活の孤独感や郷愁を反映させている。そんな雰囲気ばかりだ・・・それはまさしく、エドワード・ホッパーの絵の中に見られる寂しさと重なる。普段何気なく見ている風景に人の心が重ね合わせられている。

* * *

ガラスの透明性やきれいに整備された芝生は自然としてそこに存在する訳ではない。そこにはそれ生み出すための不自然なまでの管理により持続されている。近代のピュアな状態とは不自然さでもある。

JEFF WALL, MORNING CLEANING, MIES WAN DER ROHE FOUNDATION, 1999
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EDWARD HOPPER, PENNSYLVANIA COAL TOWN, 1947
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繰り返される日々。最新情報を入手し豊かな明日を夢見る。しかしその前に目の前にいる大切な人との豊かな一時を育むべきではないのか。

JEFF WALL, A VIEW FROM AN APARTMENT, 2004
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EDWARD HOPPER, ROOM IN NEW YORK, 1932
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都市の中で誰にも気兼ねなく一人になれる場所。個室は自分と向き合うための場。誰もが同じ姿勢で自らと向き合うのだろうか?

JEFF WALL, AFTER'INVISIBLE MAN' BY RALPH ELLISON, 1999
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EDWARD HOPPER, HOTEL ROOM, 1931
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暗闇の中、かすかな希望を見つけて次のステップへ。

JEFF WALL, ODRADEK, TABORITSKA 8, 1994
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EDWARD HOPPER, SUMMER EVENING,1947
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パーティを心から楽しめる人はいるのだろうか。華やかな球体は宙を舞い心は不安定に漂う。

JEFF WALL, A VENTRILOQUIST AT A BIRTHDAY PARTY, 1990
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EDWARD HOPPER, SOIR BLEU, 1914
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*  *  *

これらのアートが教えてくれることは、目に見える一見華やかな都市の日常はほんの表層にすぎないということだ。「表層に惑わせることは無い。その裏側に広がる人々の心を見れば、都市は多くの迷いや問題を抱えたあなたと同じ人間の集合体として形成されている。」といったメッセージがそこにはある。都市はみんなが漠然と感じる程に力強くも無く華やかでも無いのだ。

ジェフ・ウォールやエドワード・ホッパーは都市生活を営む人々へ慰めに似た理解を示した心優しいまなざしの持ち主なのではなだろうか。
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Top▲ | # by takeshimurakuni | 2011-06-27 02:05
ぬるさに学ぶ姿勢
18.06.201 (Sat)

アムスフォート(Amersfoort)というこじんまりとしたオランダの町に出かけた。目的は現在開催中の 'Meissen | SO - IL' と題されたエキシビションを見るため。SO-ILという名のニューヨークで活躍する若手建築家ユニットとドイツの高級陶磁器マイセンのコラボレーション。SO-ILがデザインを出掛けた美しいカラフルなディスプレイにマイセンの陶磁器が展示されている。別のフロアではSO-ILがこれまで手がけてきた建築プロジェクトが模型やパネルとともに展示されている。建築家の作品展と、展示空間という実作が同時に楽しめるリッチな企画だった。

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*  *  *

SO-ILはオランダ人男性Florian Idenburgと中国系女性Jing Liuの建築家ユニット。Florian は日本の設計事務所SANAAにて8年間経験を積んでいる。SANAAでは担当者としてニューヨークのニュー・ミュージアムなどを手がけた後、2008年にJingと共にニューヨークにて独立を果たす。彼らの作品には良くも悪くもSANAAの影響が色濃い。そしてそれと同時に、独特の色彩感覚やマテリアリティが彼らのオリジナリティとして付け加えられている。その融合の葛藤を作品の中に見て取れるのが良い。

SANNA独特のシャモジのような輪郭線を描きながらつけたされた増築部。そこに彼らのテイストがトッピングされる。スムーズなカーブではなくギザギザが付き、高透過ガラスの替りに色付きや鏡面のガラスがはめ込まれる。
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SANNAおなじみの独立して並ぶ立方体群としての住宅。しかしその壁には石が積まれている。スタディの過程では木を貼る案など他の材料もテストされている。いずれにしてもあくまでも白ではなく素材感。
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偉大な師の元で長い間学び多くのことを吸収し巣立つ。その際若い建築家が取りうる進路は二つあると思う。師が志したことを徹底的に突き進める方法と、師の中に見つけた同意できるテイストとそれとは異なる自分自身のテイストの融合を試みるという方法だ。SANNAを例に取れば、石上純也が前者でSO-ILが後者になる。

師の偉大さを拡張し続ける原理主義者として石上純也は評価される。だけど、SO-ILのように自分の中にある師とは異なる何かと、師から学んだ大きな影響の間を葛藤しながら揺れ動く建築家像に僕はとても共感を覚えた。

大多数の建築家、建築を学ぶ者が本当に見習わなければならない姿勢というのは、単にわかり易く取り上げられやすい極度な温度の中にあるのでは無いと思う。このエキシビションで見たSO-ILの複雑に揺れ動くぬるさの中にこそそれはあるのではないだろうか。
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Top▲ | # by takeshimurakuni | 2011-06-26 03:48
自分の作品として建築をつくりたい友人
17.06.2011 (Fri)

ベルラーヘ時代の同期に久しぶりに再会。卒業からそろそろ一年が経つ。それぞれがそれぞれのやり方で新しい生活を進めている。

将来は独立して自分の作品として建築をつくりたいと友人は言う。自分の名を世に広める媒体として建築を設計するのは賛成できないと僕は言う。でも何かを作り出したいというクリエイティブな欲求は自分から生まれ出た何か世に残したいという根本的な欲求に基づいているはずだと彼は言いたかったのかもしれない。それでもやっぱり賛成できないと思う。
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Top▲ | # by takeshimurakuni | 2011-06-26 02:10
ブリコラージュ
16.06.2011 (Thu)

ブリコラージュ
理論や設計図に基づいて物を作る「エンジニアリング」とは対照的なもので、その場で手に入るものを寄せ集め、それらを部品として何が作れるか試行錯誤しながら、最終的に新しい物を作ること (Wikipedia)

51N4E, Mountain Villa, 2008
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OMA, YK2 House, 1998
OMA, Casa de Musica, 2005
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Lacaton & vassal, Latapie House, 1993
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MVRDV, Hagen Island, 2000
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Top▲ | # by takeshimurakuni | 2011-06-20 09:23
サスティナブル・デザイン
15.06.2011 (Wed)

大量にそして繰り返し消費される物をデザインする際、ユーザーに100%の満足感を与えないように配慮をする。80%位の満足感に留めることで再び新しい商品を手に入れるモチベーションを保つ。そんな話をチームのメンバーとする。

建築は単品一品のデザインなので建築家は毎回100%のデザインを目指す。そういう意味で80%の満足に留め20%わざと不愉快に感じる余地を残すという行為はデザイナーにとってとても挑戦的なことのように感じる。100%やりきらないように100%全力を尽くすことがデザイナー自らの存在を持続することになる。ラディカルだと思う。

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Top▲ | # by takeshimurakuni | 2011-06-19 17:17
贈り物
14.06.2011 (Tue)

日本から買ってきたラーメンにいろんな具を乗せて友人四人に振る舞う。お返しにバイオリンとチェロを演奏してもらう。

どうしてラーメンを振る舞うとバイオリントとチェロの演奏が帰ってくるのだろうか?何かを贈ると何かが帰ってくる。それは直接的な交換では無く、ぐるっと一周廻って何か全く違うものとして戻ってきたような感じ。不思議で暖かな夜を過ごした。


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Top▲ | # by takeshimurakuni | 2011-06-19 09:28
あんまり売ってないから好きな歌を歌う
13.06.2011 (Mon)

今日はオランダは祝日。久しぶりにパンにジャムを塗り朝食を済ませ、午後から買い物へ出かける。何も良い物が見つからないのでさっさと帰宅してねむったり。

*  *  *

昔、吉井和哉は

影も形もない僕は
素敵な物が欲しいけど あんまり売ってないから
好きな歌を歌う・・・

と歌った。何かを手に入れたい時、そこにある選択肢の中から一番自分にとって良いと感じた物を手に入れることが普通だった。でも歌手である彼は、彼の望む素敵な物が見つけられない時そこにあるものをあっさりと諦めて替りに好きな歌った。それはもしかしたら自分で作った歌だったのかもしれない。

今ここにある選択肢だけが自分の行動を決定するのはおかしいんじゃないか?そう彼は言っているかのように聞こえた。もし好きな選択肢がないなら自分ができる方法で納得の行く選択肢を生み出せという強い決意みないなものを見た気がした。そしてそれにも関わらず、彼は自らを「影も形もない僕」と表現する。その当時、何だかとても混乱したことを今でも覚えている。

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Top▲ | # by takeshimurakuni | 2011-06-19 07:54
貧困と無知
12.06.2011 (Sun)

「現在われわれにできることは、貧困と無知に対するたたかいだ。」

黒澤明監督の「赤ひげ」を観た。その中で街の診療所を運営し、病気で苦しむ貧しい人々に向き合う医師はそう言った。映画の時代設定は江戸時代中期であり、現代の社会状況とは背景が大きく違う。それでもこの言葉はまだまだ多くの場面にそのまま当てはめられるような気がしてならない。悲しいことだが例えば身近な建築設計業界に置いてさえ悲しいことだが簡単に当てはめることができてしまう。

大学もしくは大学院を出て建築の設計をしたいという道を選んだ場合、どれだけの可能性があるだろうか。大半の可能性は、とても大卒、院卒とは思えない程の薄給で文字通り昼夜を問わず働くことを余儀なくされる。自分は建築が好きで、それが自分の勉強になり、自分が望んでいる道だからからと信じ皆頑張る。そして時に仲間の多くが力尽きて行く。そして残された者は力尽きた者を横目に更なる深みに嵌り込む・・・唯一の選択肢しかなく、その唯一の選択肢が建築家として生きていくことと信じる。選択肢が無いということ程貧しい状況は無い。その状況は「無知」と言い換えても大げさ過ぎはしない。

それは建築設計業界だけの問題では無いと言うかもしれない。でも、少なくとも建築設計業界がそうならばそこに目を向けなければならない。業界の問題を取り扱うことさえままならない建築家が、社会の問題に対して取り組めるはずが無いからだ。

*  *  *

そんなことを思いつつ、ロッテルダムにあるフォト・ミュージアムに行った。現在開催されている展示は"ANGRY"と題されていた。オランダで生活する市民達の「怒り」の声、思いがビデオや写真として展示されている。アーティストは無名の市民の声を汲み取りドキュメントした。社会への声がアートとなった。

赤いヒゲの生えた建築家はいないのだろうか?もしそうだとしたらヒゲでもはやしてみようか。


UIT DE SERIE SHANY, Rineke Dijkstra, 2002,
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Top▲ | # by takeshimurakuni | 2011-06-16 07:46
マスクとUFO
11.06.2011 (Sat)

久しぶりにボイマンズ美術館へ出かける。今週の三連休が影響してか普段の週末は混雑している美術館はガラガラ。誰もいない展示室をゆっくり静かに歩き廻る。

あるコーナーを曲がった時とても不思議な彫刻に出会った。動物のマスクのような作品が数点壁に掛けられている。焼き物のような独特の質感、そして横から差し込む自然光によってうっすらと赤やピンクに光が反射する。静かな美術館でいきなりこんな作品を目の当たりにしドキっとする。なんとも言えない不気味さがある。古い作品なのか新しい作品なのかもまったく想像がつかない不思議な存在感がある。

作者は Boris van Berkum という68年生まれのオランダ出身のアーティスト。彼は様々な歴史上の芸術スタイル、文化を融合することに興味を持ち主に彫刻作品を制作している。例えばヨーロッパにおけるクラシカルな胸像や教会に見られる彫刻作品、ヒンドゥー教、仏教彫刻、アフリカのアート等への深い興味と理解に基づいている。

それと同時に彼はいろいろな新しい素材への興味も示している。ブロンズはもちろんセラミック、チョコレートやマショマロのようなものさえアートの素材として利用している。彼はそんな歴史上のスタイルや彫刻や形態が再び現代の生活の中に戻ることを提唱しそんな自身のスタイルを "Mega Renaissance" と呼んでいる。

歴史への視線が良いと思う。何か新しいものを生み出すことに追われがちなアーティストの中で、歴史を振り返り、その融合の中から作品を生むという姿勢が面白いと思う。現在という時代設定、自分自身のデザイン、オランダという活動の場、そういったことから少し開放された彼の態度がとてもきもち良いからだ。このアーティストのような若い世代に属する作家は未来、もしくは新しさ、そして作家性ということに対する捉え方が前の世代と少し違う。それは今まで培われてきた彫刻の歴史の全てに対して目隠しをして、そうでは無いものを作りそれが私の生み出した新しさだと主張することと大きく違うと思う。

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*  *  *

別の展示室へ行くと "Futuro - Constructing Utopia" と題した展示が開催されている。大きな展示室の中にUFOがある。これはフィンランドの建築家 Matti Suuronen が1968年にデザインした Futuro と呼ばれるプレファブ住宅ユニットだ。中にも入れて覗いて見ると、キッチンもトイレも完備されベットルームがあり、大きなリビングルームが中心にある。全てが曲線でデザインされていて、60年代に人類が夢見た未来の姿が凝縮されているような夢のプレファブユニットだ。

このような卵型UFOで生活を送ることが未来だと考えた人が沢山いた。そして40年経った。21世紀になりいろいろなことは変わったけれど、こと住宅に関して言えば今僕らは40年前とはそれほど代わり映えのしない建物で生活をしている。だれも円盤のユニットで生活を送っているわけではない。

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*  *  *

フィンランドの建築家は、歴史に蓋をしてそれまで誰も実際に見たことの無かった円盤型のユニットをデザインし未来を語った。一方オランダの彫刻家は、歴史の蓋を開けかき回し何となく見たことがあるけど少し何かが違う彫刻を制作している。

彫刻家のような柔軟な視点を持った系譜学的思考に学びたい。
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Top▲ | # by takeshimurakuni | 2011-06-13 22:43

ロッテルダムの設計事務所OMAで建築・都市について考える。「人生の夏休み」、「35歳のインターン」の続編です
by takeshimurakuni
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